Feb 3, 2016

RPGは、剣という『言葉』、魔法という『手段』。面白味の本質は『苦』を与える事にある。

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Good morning! サイダーの雫だ。

ku

『常識』では、ブログの読み手には朝も昼も晩も無いから、「おはよう」とブログに書くのはおかしいのかも知れない。

俺は適当だからいいんだ。読み手じゃなくて俺のペースで書いている。だから、読み手が夜だろうと、「おはよう」。クソめんどい接客なんかクソくらえだ。

さて、今回は、俺の好きな『ゲーム』について、誰も読みたくも無い話を語る。

RPGは、何故ゲームとして成立するのか?という話だ。

まあ、要は。剣と魔法の世界なんか何で冒険して面白いんだ?という事。

現代社会風に言い換えると、剣とは『言葉』、魔法とは『科学』だ。われわれ社会人は、言葉という剣で争い、科学という手段で考えを実現させている。

つまり、剣と魔法とは、コミュニケーションと実現という事。ゲームの中に出てくる様々な敵を倒して(様々な人間とコミュニケーションをとって)、最終的な目標である魔王を倒す(一番自分の目標とする人間と理想的な関係を構築する)。

その為の手段として魔法(科学)がある。魔法の強大な威力無くしては、敵を倒す事はなかなか出来ない。全く同じように、我々の生活も科学技術を使って便利にしないと非常に厳しい。

まあ、何でもかんでもゲームに出来ない最大の理由は今話した事だ。コミュニケーションと実現で世の中ってある意味完結しているから、それが面白味って事になる。ところが、「現実離れした事をしよう」と思ってゲームを作っても逆に面白くなくなる。

これが、ゲームで遊んだ経験の少ない大抵の人間が作ろうとする『ゲーム』が非常に面白くなくなる原因だ。

つまり、現実離れをした自己実現がゲームの本質だと勘違いしてしまう為に、ゲームの面白味のウェイトを『そこ』に置いてしまう。その為のゲーム性で、その為のゲームの理論で、その為の企画だと考えてしまう。

だからこの世の中には、圧倒的多数の全く面白く無いゲームがあり、逆にゲームの本質を分かっている人が作ったごく一部の面白いゲームがあるというワケだ。

人を感動させたい、世の中をもっと面白くしたい?そういう人に俺はハッキリと断言する。

既にそれはある。

人を感動させるゲーム以外のものなんかいっぱいある。世の中は既に面白い、あなたがそれに気付かないだけ。

ゲームにその役割は、不要だ。物凄いゲーム好きの俺が言うのだから、100%間違いない。

そうじゃない。ゲームにしか出来ない事がある。『苦』だ。

プレイヤーに苦しみを与えるということ。乗り越えられるプレイヤーにだけ、乗り越えさせる事。これが『ゲーム』の面白味の正体だ。

これが分かっていないゲームが、何の価値も無いゲームで、これが分かっているゲームが、ごく一部の存在すべきゲームだ。

だから、量産タイプのコピーしたようなスマホのゲームは、無駄だから消えるべきだと思うな。ゲームはごく一部の人が作ればいい。

もっとコンピューターを使った面白い遊びって無いの?・・・なんかさあ・・・。人類って、思い込みが激しすぎるよ。

自分達が自由だという思い込み。常識に捉われていないという思い込み。「私は誘導されていない、私は私の意志で生きている」という思い込み。自分に意志があると思い込んでるロボットのようなんだ。

だから、オリジナリティがある個体が極めて少ない。本当にごく一部の、1から考える人と、圧倒的多数の、実は流されているだけのクラゲ。

ピラミッドだね、昔から何も変わっていないんだよ。

まあ、面白いゲームを遊びたいね。人に苦痛を与えることを意識すると、ゲームはもっと面白くなるよ。

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